skrbmdl’s blog

日常生活で感じた事を綴ります。

日々。

3連休真ん中、日曜日。

早朝バイト、1週間1度の掃除の日。

9時にバイトを終え帰宅、パソコンの電源を入れyoutube音楽配信をかける。

洗濯機に洗濯物を入れスイッチON。

パンと珈琲で朝食をとりながら少し休憩をとる。

お天気も良くなり暑さが増してきた。ダラダラしてても片付かない、掃除に取り掛かる。一通り終わり洗濯物を干しに庭に出ると、鉢植えの花や地植えのニガウリ、マリゴールドの花が水を欲しがってる様子が見えたので水やりをした。

その間ずっと音楽が流れている。

今日は買い物にも出かけず一日家の中。

1人暮らしの私にインターネットは必須の存在。

テレビは嫌い、レシピは調べたいし解らない事を他人に聞くより自分で調べたい。

自分に合った答えが出て来るから納得が出来る。指の運動頭の体操で日々新しい発見がある。時には出会い有る。

インターネットを知らなかったら驚きや楽しさ、発見の無いつまらない日々を過ごしていただろう。

介護の現場。

夕ご飯が終わるころになると

「教えて下さい、明日は何時に起きればいいですか?」と聞き始める利用者さんが

今日も誰かれなくスタッフや周りの方(同じ利用者仲間)に聞き始める。

「6時30分から7時にここに来ればいいですよ。」と答えると

「そうですか。6時30分にここに来ればいいですね。」と自分にも言い聞かせるように確認をしながら繰り返して聞く。

5分も立つと又、「教えて下さい。明日は何時に起きれば良いですか。」と聞き始める。

紙に時間を書き留め「ここに(6時30分起きる)って書いてありますけど、これで合ってますか?」と聞いて来る。

寝て頂こうと居室に一緒に行く。

「パジャマに着替えて下さい。」といってるそばからまた、

「明日は何時に起きればいいですか?」と始まる。

「起こしに来てくれるから心配しなくても大丈夫ですよ。」と言っても

「それでも何時ごろか教えて下さい。」と

私も掃除をしている途中だったので

「目が覚めたら起きてきていいですよ。ご主人に(お父さん有難う。)って言ってから休んで下さいね。」と声かけをして居室を後にした。

 

今日は自分を否定することは無かったが心配事で気持ちがいっぱいいっぱいの様子。

穏やかな日々を送れるようになることは不可能なんだろうか。

介護の現場。

昨日仕事終わり際フロアに1人の利用者さんが残られていて、洗い物をしている私のそばに自席から歩いてこようと立ち上がられた。思わず、

「マイカー(車椅子)に乗ってきて。」と叫んでしまった。

その方は気がついた様子で車椅子を自走して来た。そこは解ってくれた。

私の側まで来ると

「教えて下さい。私はお金が無いのでここに居るのですがどうしたらいいのでしょうか?」さすが認知症

「お金があるからここに居られるんですよ。そうそう居られる方ばかりはないですよ。」と言うと

「私が悪いのです。みんな私が悪いんです。」と言い始めた。

昨日のニュースの記事を思い出したので

「自分を否定してはダメです。ご主人が一生懸命働いたからここに居られるんですよ。寝る時、ご主人に ”お父さんありがとう”って言って下さいね。」と何度も念を押して居室に帰って頂いた。

どこまで理解して頂いたかは、いや解って頂けてないと思いつつも何とか穏やかに休んで頂きたいと願いながら夜勤者とその方が居室に戻られるのを見送った。

誕生日。

今日は早朝バイトの為4時30分起床。

身体も気分もイマイチだったので朝食の後薬を飲んで出かけた。

日曜日早朝の客足はまばら。

何とか仕事をこなしているとマナーモードにしてあるスマホの着信に気が付いた。

客足が途絶えたタイミングで確認をすると、孫(高1の男の子)からのラインがはいっていた。

「おばあちゃん、お誕生日おめでとう。」とひと言。

身体も気分の悪さも吹っ飛んだ。

仕事中だったので返信は終わってからに。

一緒にシフトに入っていた仲間が

「良かったね。何よりのプレゼントだね。」と

私の気持をさっしてくれた。

 

介護の現場。

いつものように夕方になると不穏になる方が、

「教えて下さい。」と車椅子を使っているにも関わらず、立ち上がってそろりそろりとスタッフの方に歩いてくる。

いつ転ぶかもわからない状態なのに私達はひやひやしながら

「止まって。車椅子はどうしたの?とにかく座って。」と声かけをする。

今日はその方が、「家へ行ってお金をとってきます。」と言って立ち上がる。

何度となく繰り返す。

その内夜勤者が、

「あんたはここより(有料老人ホーム)グループフォームへ行った方が良いよ。」と。

内心そんなこと言っても理解出来るわけないよと思いながらも黙って聞いていた。

もう1人、105歳になられる方が夕食の時からずっと歌(若い時に詩吟をされていた)を歌って良く通る声がフロアに響く。

その方にも夜勤者は「うるさいな、だまってるさ。」と。

やっと就寝介助が終わって私と夜勤者だけになった時、

「こっちが壊れてしまいそうだわ、もう限界だ。鬱病の薬、いつも持って来てるよ。」

「なんで?理性が働かなくなるの?」と聞いてみた。

「理性と言うより、疲れてしまう。」と。

人それぞれだが相手は認知症の方、割り切って対応しようよ。

もう1人15時おやつの時間を過ぎた頃から

「トイレに行きたい。」と何度も言われるのでトイレ介助を済ませた。

5分も経たないうちに又「トイレに行きたい。」と言う。

「さっき行ってきたよ。」と答えても耳に入って無い。

「お姉さん、トイレに行きたい。」と叫ぶ。

負けずに私も「20分位しないとおしっこが貯まらないからもう少し後でね。」と

やり返すと、周りの方が分かっているのかわかって無いのか知らないが私達のやり取りがおかしくて笑う。

それでも20分経ってトイレ介助をすると

「ありがとね。助かったよ。」と言う言葉が帰ってくる。

「ハイね。良かったね。」と答える。

言葉ひとつで自分の気持も楽になると思うけどなー。

日々。

今朝のニュースに3500人の方を看取ったお医者さんの記事が載っていました。

「良い人生だった。」と後悔し無いような人生を過ごすには

 

○ 自分で自分を否定しないこと。

○ いくつになっても新しい一歩を踏みだすこと。

○ 家族や大切な人に心からの愛情を示すこと。

○ 今日一日を大切に過ごすこと。      と。

 

多くの方の死の間際を見つめ感じとられこの4つの事柄を日々忘れないよう過ごす事が安らかな死を迎えられると。

 

楽あり苦ありの人生でも、その他大勢の1人でも心に刻み日々過ごそう。

来世こそはよりこの人生楽しかったと逝く時を迎えたい。

癒し。

私がドライブ好きなので周りには同じように出かけるのが好きな方が集まって来るのかと思っていた。

でもそればかりではないような事を感じた出来事があった。

先日、介護現場の同僚がこんなひと言を

「何だか疲れちゃって、じっとしていられ無くなって1人で出掛けて来たよ。」

仕事のストレスを発散しに少し足を延ばして公園や季節の花で有名な神社、仏閣等

に出掛けている。

今日は日頃から情報交換(お出かけスポット)をしている年下の同僚(男性)が

「雨の日でも楽しめる場所知ってる?」と聞いてきた。

「いつ行くの?」

「あさって休みだから出掛けようかと思ったけど雨降りそうだから。」

「そうか、子供からお年寄りまで楽しめるところがあるって前にネットで見たことがあったけど行かずに忘れちゃつた。<(_ _)>ね。」と答えた。

介護の現場だけでは無いだろうが癒しとしてドライブを好む人が沢山いる。

安全運転を心掛け本当にそれぞれの癒しにつながっていると信じ私もドライブを楽しもう。